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変革の瞬間−16
標準主義への確信
標準主義への確信

この連載のなかで、随所に「自前主義」という言葉が出てくる。辞書を引いても恐らく出てこない。
 自前とは、何でも自分のお金でやることであり、その結果アイデアに始まって、つくり方、使い方、売り方などをがっちり囲い込んで独り占めにしようとする。これを「自前主義」と言ってみたのだが、「技術は盗め」といわれた徒弟制度の時代から現代に至るまで、企業の底流にはいつも自前主義が見え隠れしていた。
 さて、企業は過去から培われた技術やノウハウを武器にし、囲い込みをして優位な経営をしようとしてきた。いうまでもなく、これが自前主義であり、企業はその環境のなかで競争をし発展してきた。ところが90年代になって、「標準主義」、つまりオープンビジネスという流れが突如現われた。そして、その源流はインターネットなのである。インターネットの出現によって、「世界中どこででもつなげて使えるものでなければ売れなくなった」というのがオープンビジネスの始まりだと思う。
 ただここで、「つなげる」という言葉を物理的な意味だけで理解してはならない。あるメーカーのワープロで作成した文章が、世界中どこででも読めたとすれば、「つながっている」ことになる。しかし、現実には、自前主義のビジネス環境で競争しているから、A社とB社のワープロで作成した文章データには互換性がない。もし、自前主義環境で「つながる」ことを要求されたら、必然的に1社独占となっていく。
 冒頭でもいったことだが、自前主義のビジネスは、すべて自分でやろうとしているのだから、裏を返せばほかの人にはやらせないということになる。強いものにとっては居心地よいが、弱いものには工夫と努力がなければ生き残れない環境だ。こうして系列とか下請けなどというハイアラキーな構造が生まれる。そうして、ハイアラキーなシステムは完成に近づくと個人の自由を奪う。
 これに対し、独占による「つながり」を否定して、標準仕様で「つないでいこう」という標準主義経営が現われるのもまた必然ではないだろうか。標準主義には情報公開により標準化を図ろうという経営者の意志が存在する。これらの経営者は、標準化を進める過程でビジネスを成立させようとするが、もちろん技術を闇雲に公開するのではない。標準主義の目的に沿いながら、なおかつ自社のコアコンピテンシーを確保してビジネスを展開する必要がある。
 標準主義は、組織や社会のハイアラキーを緩やかにするから、個人の選択の自由が増えてくる。つまり、個人の選択を主体とした経営といえる。人は選択の自由を望んでいると思う。だから、この新しい流れは本物だと確信している。

1999年 8月30日

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