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個の自律へ向けて:裸の自分と社会的存在の自分の自覚

僕らの日常行動の裏には実はどう行動するかに関しての細かい決定がある、ということを補助線として持っておくと色々考えるときに便利だと思います。動物なんかはその決定を体(人間の右脳相当?)で反射的にやっていますが、左脳(言葉)をもった人間はそれを左脳に移して社会を作ってきました。その社会的な行動の決定のためにはそれを決めるための「情報」が必要です。インターネットのなかった時代にはリアルタイムのコミュニケーションは人と人との対面でやるしかなかったためにそれを効率的にやるために組織を作り会議を通じて社会を動かしてきました。なので大局的には組織が社会を動かせる、と言うパラダイムに僕らはいました。

一方今やインターネットインフラによって世界の何処と誰とでもリアルタイムでの情報共有が出来ることになりました。と言うことは組織は相対的に弱くなり「個人」が社会を動かす力が強くなっている、現状はその転換期にあるのだと考えるのがよいと思います。この転換の感じを画いた図がここにある図です。ここで重要と思うのが今まで組織に制御されていた裸の個人(図てはブルー丸)が分離独立して社会的に発言力をもち存在することが出来るようになったことです。つまり人は二つの部、絵ではブルーと赤ですが、言葉では右脳と左脳からなると言っています。そしてこれからは右脳(フルー)が世界を動かしていくと思えます。そのとき自分の中では左脳と右脳のつなぎをうまくつけなければなりません(今組織における精神的な障害が多くなっているのはここが分離しているからと思えます)が、一方企業は(資本主義社会を前提)利益を出す、が直面の目的でそれは個人の右脳とは構造的にこれから一致することはないと思います。つまり企業は個人の右脳(気持ち)からなってゆくマーケットと利益を上げると言う左脳の世界の構造的な挟み撃ちにあってくるので、営利企業のようんば組織は経営者のコントロール下にはない、と言う前提で社会を見直す必要があると思います。この転換が組織と個人の間のどのようなバランスで安定するのか、その安定点にどのくらいの期間がかかるのか、僕は思ったより遅い進行と思いますが、ベクトルとしては間違えていないのではないでしょうか。

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